前回の記事で「ルカによる福音書」を調べていて思い出したのが、マーベルのnetflixドラマ「ルーク・ケイジ」でした。
ルーク・ケイジと福音書
このところ筆者はnetflixでマーベルのTVドラマ(ディフェンダーシリーズ)をずっと見続けていて、ようやく「ルーク・ケイジ」シーズン2を見始めたところです。
このドラマの主人公であるルーク・ケイジは、本名をカール・ルーカスという元黒人警官。彼は無実の罪で服役し、刑務所での不法な人体実験により超人的な能力を得て、ハーレムに戻って来た無敵のやさしいヒーローです。
いつもパーカーを来ているので「Mr.バーカーJr.」みたいですが、関係なさそうです。(^_^;
「ルーク・ケイジ」というのは刑務所を脱出した後に自ら付けた新しい名前ですが、牧師だった父親から良く聞かされたのが「Luke Four Eighteen(ルカによる福音書 第4章 18節)」の言葉だったことから、「Luke(ルーク)」と名乗る、というシーンが印象的でした。(シーズン1第4話)
マーベルドラマの描くニューヨーク
このマーベルのTVドラマシリーズは荒れ果てたニューヨークが背景で、犯罪を抑えきれないのみならず、犯罪の片棒を担いだりして信頼を失いつつある警察と、勝手に街の平和を守るため自警行為を始める特殊能力者との葛藤も描かれています。
このシリーズの5人のメインキャラクター(デアデビル、ジェシカ・ジョーンズ、ルーク・ケイジ、アイアン・フィスト、パニッシャー)のうち、黒人はルーク・ケイジだけですが、他の登場人物には多種多様な人種が配されていて、人種間の交流が過度に思えるほど描かれています。
このドラマのテーマは、既存の人種差別の問題を乗り越えた先にあるものとして、特殊能力者との関係を新たな人種問題として描こうとしているのかも知れないと感じました。
BLM(ブラック・ライブズ・マター)
最近の米国でのBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動の盛り上がりを見ると、米国における黒人差別の問題の根深さを再認識すると同時に、信頼を失いつつある警察組織が心配になります。
抗議運動がこれほど急激に活発化したきっかけは、デレク・ショービン警察官による黒人のジョージ・フロイド容疑者への行き過ぎた拘束行為をとらえた携帯動画でした。
後ろ手に手錠を掛けられ、路上にうつ伏せにされ、明らかに無力化され苦しむ容疑者に対し、執拗にチョークホールドを続ける映像はかなりショッキングでした。たとえ相手が第一級の重犯罪歴や薬物使用歴などの前科のある大柄で屈強な男性だとしても…
結果的に死に至らしめてしまったこの事件に、4名もの警官(内2名は新人だったようですが)が関わっていたとなれば、警察の信頼が失墜しても仕方ないのかも知れません。
殺人罪に問われているデレク・ショービン被告は、死亡したジョージ・フロイド氏とかつて同じクラブで働いていて顔見知りだったようですが、私怨が絡んでいたのかどうかはまだ分かっていないようです。
しかし、米国における黒人差別や警察の横暴については過去からの積み重ねがあり、一部では暴動にまで発展した抗議活動はいまだ収まる気配がありません。
今や大統領選や米中対立もからみ、とても政治的なニオイが強くなってきました。なによりもコロナ禍のまっ最中でもあり、抗議活動の広がりと共に新型コロナウイルスが拡散されないか心配です。
善きサマリア人たれ
前回の記事で書いた通り、「ルカによる福音書」に出てくる「善きサマリア人」の話は、隣人愛のたとえであると同時に人種差別への戒めでもありました。
米国の黒人差別について、その背景や歴史をよく理解していない日本人の筆者が安易に論じることは控えますが、人種差別という意味では日本人も他人事ではありません。
我々も忘れてはいけないのは、善きサマリア人のように、すべての他者に対して隣人愛あるいは慈悲の心を持ち続けることではないでしょうか。(宗教にとらわれない普遍的な考え方として…)